2011/07/17 01:17閉じる
大石寺第26日寛はなぜ秘すべき宗門独自の三大秘法義を六巻抄等で詳細に論じ、結果的に大石寺の金口相承の中心的教義を理論的に開示していったのだろうか
彼が生きた時代には、徳川幕府の宗教政策によって自由な布教が制限されたかわりに、日蓮宗各派で教学研究が盛んとなった
そうした時代背景の下で日寛も、八品派と富士派が合同で作った千葉の細草檀林に入って長年研学に励み、同檀林の化主を務めた後には大石寺の学頭に招かれ、門流独自の立場から祖書の講義を行う中で大石寺26世の法燈を継いでいる
日寛は、日蓮宗各派の教学振興の気運の中で自らも大石寺教学の確立を目指したといえ、そこから秘伝の三大秘法義を理論的に体系化する意図も必然的に生じてきたと言えよう
だがそれ以外に、日蓮宗各派が教学論議を盛んに行う中で、大石寺の相伝教学からみれば看過できない法義の乱れが広く伝播し横行するようになった、という事情がある
日寛が六巻抄等で批判的に取り上げた日蓮宗各派の論書の著者のうち、主たる者を挙げてみると、一致派では身延派の行学院日朝や一音院日暁、六条門流の円明院日澄、不受不施派の長遠院日遵や安国院日講、また勝劣派では八品派の常住院日忠、富士門流では京都要法寺の広蔵院日辰、等々である
彼らは、祖蓮御入滅から四百数十年の間に現れた日蓮宗各派の論客であるが、いずれも日寛が活躍した頃の日蓮仏教界において、何らかの教学上の影響力をもっていたと考えられる
日寛は、こうした諸師の論が日蓮門下に流通している状況をみて、大石寺門流の相伝教学を護るためには理論的顕揚が必要である、と感じたのであろう
それゆえ金口相承の中心的教義である三大秘法義を理論化し、対外的論議に耐えうる門流教学を構築しようとしたのである
これをどう思いますか? 日蓮正宗外部改革派憂創同盟
つまり、日寛上人の時までは「確実に」「金口相承の中心的教義である三大秘法義」があった、ということですね。「代々の御法主上人猊下に金口相承があること」を認めているんですね。他の質問にある「日精上人」や「要法寺出身の御法主」への非難はまちがってることになりますね。