2007/12/05 16:01閉じる
新聞で安積艮斎(あさかごんさい)の存在を知り、ふと疑問が
この頃は、長州も幕府もなく、皆仲良しだったのでしょうか?何時頃から、仲が悪くなったのでしょうか?門下生には長州の吉田松陰、高杉晋作、土佐の岩崎弥太郎、幕臣の小栗上野介、会津の秋月悌次郎ら、幕末から明治維新にかけて活躍した巨星の名前が並ぶ福島民報抜粋(安積艮斎(あさか・ごんさい)福島県郡山出身の儒学者、安積艮斎(あさか・ごんさい、1790―1860年)、近代日本を導く多くの人材を育てた艮斎の功績をしのんだ
安積艮斎門人帳は安積艮斎顕彰会と勉強会「駸々(しんしん)塾」が発刊した
艮斎の生家の安積国造神社にある自筆の「授業録」「授業続録」「授業再続録」「授業録三続」の4冊の原本を郷土史研究家の故・田中正能氏が約30年かけて解読
6年前に亡くなった田中氏の遺志を継いで顕彰会と駸々塾が編集作業を続け、完成させた
A4判、443ページ
原本の写真に合わせて門人名、入門日、出身藩などを紹介
長州の吉田松陰、高杉晋作、土佐の岩崎弥太郎、幕臣の小栗上野介、会津の秋月悌次郎ら、幕末から明治維新にかけて活躍した巨星の名前が並ぶ
著名人には略歴を添えた
艮斎ゆかりの品々などの写真も載せ、表紙には艮斎の名がある嘉永年間の江戸の地図を装丁した
【業績分類】 【生没年】 【時代】 教育 1791~1860 江戸時代 福島のニュース トップ |主要 安積艮斎門人帳出版 郡
朱子学者として安積艮斎の業績は、生誕地の陸奥・二本松で儒者今泉徳輔に学んだ後、16歳で江戸にでて佐藤一斎・林述斎に学び、早くも23歳の時には(1814年:文化11)神田駿河台に私塾を開いた優れた学者です。1843年(52歳の時)、故郷の二本松藩校{敬学館}教授に招かれます。1850年(59歳の時)には幕府の{昌平坂学問所}の教授として招聘され江戸に居を移します。経済を基礎にした実学的な学風と云われています。{昌平坂学問所}は旗本の子弟の教育の場として存在もし、また別に諸生寮を設けて陪臣・浪人の入学が許可され、幕末には諸藩の優秀な学生を集めて活気ある学校であったようです。このように、{昌平坂学問所}が広く諸藩の優秀な子弟にも門戸を開いていた事と、それまでの{敬学館}での門弟、あるいは{私塾}の頃の門弟などがあまたあり、かれらの出身が幕府御家人・旗本子弟もあれば諸藩の家臣の子弟もあったからと考えます。