2011/06/03 16:34閉じる
【コイン500枚】1555年(天文24年)10月16日に行われた“日本三大奇襲戦”の一つ『厳島の戦い』について質問します!【毛利元就の作戦経緯】①厳島(宮島)に宮尾城(宮ノ尾城・宮ノ城)を築城し大内軍(陶側)を誘い込む作戦を、子の隆元・元春・隆景の3人のみに伝えて重臣にも知らせず開始する
②大内側から己斐直之・坪井元政を毛利側に寝返らせ吉川元春と小早川隆景の元、宮尾城の城将にし陶晴賢の攻撃を誘う
③家臣・桂元澄を陶側へ内応する振りをさせ、陶晴賢に密書を送り厳島への進軍上陸を勧める
④陶側の間者である琵琶法師に、厳島の宮尾城へ大内軍を進軍させる様に欺く
⑤厳島の対岸にある門山城を破却し、大内軍に利用させずに大内領内から直接海上進攻させ厳島へ上陸する様に仕向ける
⑥伊予水軍の村上通康や村上武吉の助けを借りて、舟300艘を確保して厳島への奇襲部隊の上陸方法を得る
⑦大内軍が今津・室木から出航し厳島へ上陸して塔ノ岡(勝山城)に陣を構え宮尾城を攻撃すると、沼田水軍60艘で熊谷信直を援軍として厳島へ渡海させる
⑧安芸湾(広島湾)が暴風雨に見舞われ渡海が厳しくなり、家臣から渡海延期を進言されるが元就は強行し草津浜から出航する
⑨伊予水軍の舟で厳島の鼓ヶ浦へ上陸すると、元就は伊予水軍を廿日市へ引き返させて“背水の陣”を敷く
⑩元就・隆元父子の本隊は、博奕尾を越えて大内軍の背後へ周り突撃する
⑪小早川隆景の別働隊は、大鳥居付近に上陸して宮尾城の守備隊と合流して本隊と呼応して大内軍へ突撃する
⑫伊予水軍の村上勢は、海上警備に当たり本隊と呼応して大内側の水軍を襲撃する
⑬総崩れとなった大内軍を追撃して陶晴賢を自害に追い込み、敗残兵を討ち取る
⑭戦いを終えると元就は、厳島神社の社殿を潮水で清めたり、血の着いた土を削り取り海へ捨て聖域を血で汚した事を詫びた
【質問①】毛利元就の作戦14個以外で、勝利の要因として1つ加えるとしたら何でしょうか?※金山城・己斐城・草津城・桜尾城の攻略と厳島の占拠は別とする
※“折敷畑の戦い”は『厳島の戦い』の前哨戦ですが、本戦とは別扱いとします
【質問②】上記の14個以外で、毛利軍が大内軍に奇襲(突撃)をする前にしたエピソードは何でしょうか?【質問③】『厳島の戦い』前に陶晴賢が犯したミスとは何でしょうか?長くなりましたが、自分と同じ答えを出した方にBAを差し上げます
14個の内容には、伝承の域を出ない事柄もありますが、それを踏まえて回答を願います
質問①以外は、答えが1つとは限りません
【質問①】毛利元就の作戦14個以外で、勝利の要因として1つ加えるとしたら何でしょうか?陶晴賢の家臣(重臣)・江良房栄を、謀略により晴賢に殺させた。≪毛利元就の謀略≫以前から交流のあった江良房栄へ毛利元就が毛利方へ内応する様に誘うが房栄は断る。元就は、房栄の内応承諾の偽書を作成し、大内方(陶方)へ渡る様に仕向ける。陶晴賢は疑心暗鬼となり、同じく毛利方へ内応疑惑のあった弘中隆包に房栄と子の彦二郎を暗殺させる。※別説で、内応を許諾した房栄を元就が危険視し、房栄の内応を陶側へ知らせたという話もある。【質問②】上記の14個以外で、毛利軍が大内軍に奇襲(突撃)をする前にしたエピソードは何でしょうか?厳島神社の大鳥居付近に上陸しようとした小早川隆景の別働隊1000兵は、大鳥居近辺に陶軍の船団が停泊していた為、筑前から来た陶軍(大内軍)の援軍と偽り敵船の間を通り上陸した。【質問③】『厳島の戦い』前に陶晴賢が犯したミスとは何でしょうか?①毛利元就の謀略により、勇将と謳われた家臣の江良房栄を暗殺した事。②2万兵で厳島へ渡海する作戦を弘中隆包に諫言を聞かず実行した事。※弘中隆包は、主君・大内義長や晴賢の妻を通じても諫言したが聞き入れられず、晴賢は水軍の将である三浦房清の意見を聞いて全軍の厳島渡海作戦を採る。③大軍で厳島の様な狭い地域を攻撃する場合は、二方面作戦で海上(船団本軍)と陸上(山陽道別軍)で進軍する事。※毛利方の謀略による情報を晴賢は鵜呑みにしてしまい、全軍で厳島渡海という兵法を無視した作戦を採る事になった。